2024年ふりかえり

雑記
ハラカド@原宿からの眺め 2024/6/16

今年も仕事面で現状維持をしつつ、プライベートでチームワークを重視した活動に挑戦した。また、異性との関係構築に課題を抱えており、大きな投資をしてコンサルタントの指導を受けた。思春期以降十年単位で抑え込んできた自分の感情・欲求と向き合い、積もり積もった吹き出ものを処理していく1年だった。

コンサルタントの塾に入会

昨年、ひとつの失敗経験があった。頻繁に会う間柄の女性で仲良くなりたい方がいたのだが、近づき方を間違えて相手を怯えさせて距離を置かれてしまった。私も混乱して改善案も思いつかず、気まずいまま1年が経過していた。YouTube視聴中に偶然、人間関係の改善をサポートするコンサルの広告をみかけ、案内ページに進み、もしかしたら関係改善につながるかもという期待を抱きあれよあれよと入塾を決めた。費用は数十万単位だったが腹をくくった。5月~9月の5ヶ月間にわたる講義を受講し、同じ期間に個別のサポートを受けた。

心理カウンセラーに相談する選択肢を今回は選ばなかった。過去の個人的なカウンセリング体験からすると、カウンセリングでは私の感情に向き合ってはもらえるが、具体的な行動改善プランを得られる期待は薄かった。また、異性関係に関わる醜い欲求を、一般的な(特に女性の)カウンセラーにさらけ出すのは抵抗があった。心理職の方々は専門的な訓練を積まれているとはいえ、恋愛のプロではない。今回の失敗の対処だけでなく、今後うまく恋愛をするためのコツも知りたかったし、そうなるとカウンセリングがベストではないと感じた。これまでコンサルに相談した経験がなかったので実験的な意味も込めてコンサルを選んだ。

5月以降の私の変化をまとめていく。

人との距離の縮め方を学ぶ

Before: 距離感は相手任せ。いきなり踏み込んだ質問をする。基本的な礼儀作法を重視しない。
After: 自分の望む距離感を作る。踏み込む順番を考える。相手の配慮に気づける。

振り返れば子どもの頃から友達の作り方や関係の深め方を学んだ経験が無かった。さらに自分の価値観や、仲良くなりたい人・逆に遠ざけたい人のタイプについての自己認識も足りなかった。20代後半になって自分から主体的に動く自信も失っており、人間関係においても向こうから近づいてきたら仲良くなるといった具合に相手任せになっていた。一方で、今回心惹かれた女性に出会ってから、いきなり話しかけては怖がらせ、その後のリカバリもできないままでいた。

塾で学んだのは、コミュニケーションは「順番が命」だということである。言われてみれば当たり前だが、その認識や実践がこれまでの私には欠けていた。過去の私は、自分から仲良くなるアプローチを取れていないか、あるいはいきなり相手に踏み込みすぎたりしていた。段階を踏んだコミュニケーションで相手に安心感を与えられなければ、関係も深められない。少しずつ距離を縮めるための会話のコツ、話題の振り方を具体的に学べたのは収穫だった。

また、私が配慮のある近づき方を学ぶことで、他の方の配慮にも気づけるようになった。あのときのあの人の話題の選択や振る舞いは私に気を遣っていてくれたんだなとわかり、私がこれまで人との交流で恵まれていて受け身がちになっていたのを自覚した。

自分の欲求と向き合う①(容姿の好み)

Before: 容姿の好みを持ってはいけないと抑え込む。容姿と内面の相関があると思い込む。
After: 容姿の好みは持っても良いが見せ方に注意。容姿と内面は別。

人の容姿の好みがある、という私の本音と向き合った。実は中学生の頃から、なんとなく小柄な女性に惹かれる傾向はあったが、「小柄な女性が好き=幼い女性が好き=ロリコン」という図式が頭にあり、口にしてはいけないタブーだと感じていた。容姿と内面が関連しているという誤解もあった。また、容姿は遺伝的な要因もあるのだから、そこに好みを持つのは差別的でありいけないことだと思っていた。

でも好きなものは好きでどうしようもなかった。容姿の好みが人間にはあるから成り立つ業界もある。業界人でない身近な女性に関して安易に容姿の言及をすべきではないが、たとえば芸能関係の有名人のなかで好みのタイプを探して話題にするなど、間接的に伝える方法があると学んだ。

パートナー選びにおいて、相手の容姿がどれほど重要であるのか、私にはまだよく分からない。異性を欲する欲求が近年爆発的に溢れてきてコントロールしきれておらず、一時的に振り回されているだけかもしれない。容姿の追求に飽きたら、あるいはその結果痛い目に遭ったら(!)、やはり性格や価値観の一致が大事だよね、と考えが翻るかもしれない。ここは今後の試行錯誤次第だろう。

今後は、まず芸能ネタにも関心を向け、誰のどういったところが好きポイントなのかを雑談で語れるようにしていきたい。ほどよい距離感で私の好みを友達と共有できるようにしてから、その好みに合う方と出会うきっかけを作っていきたい。

自分の欲求と向き合う②(女性に認められたい)

Before: 恋愛対象となる同世代女性に向いた欲求に無自覚。
After: 同世代女性からどう思われたいかを自覚するようになる。

同世代女性から尊敬されたいし、信頼されたいし、承認されたい。この欲求を満たせなかったり、同世代女性と交流する機会すらなくなってしまうと狂い出すのをこの2年ほどで痛感した。2022年にプライベートで関わっていたコミュニティが次々と崩れ、「何かが満たされない」感覚がしばらく続いた。新しい交流を増やすごとに、ポイントはココだったのだと気づいた。

「同世代」なのがポイントで、年上過ぎても恋愛対象外だからダメで、年下過ぎても経験値の差から尊敬・信頼されて当たり前という感覚になり、悪い気はしないが物足りない。やはりこの欲求も、性愛欲求と結びついた承認欲求なのだと思う。だから既婚者女性からのまなざしでも嬉しくはあるけど自分のパートナーにはなりえないからいまひとつとなる。

職場でも女性をリードしたがる言動を取っていた時期がある。しかしこれ見よがしな態度を取っていたのもありうまくいかなかった。女性の欲求を理解したうえで徐々に踏み込んでいかなければ上手くいかない。私を信頼して付いてきてくれる女性がいると頑張ろうという気持ちになるし、自尊心が高まる。浅い関係性、友達レベルの人に信頼されるだけでも嬉しいが、やはりお互いにとって唯一無二のパートナーが欲しいと願うようになっている。

今後の見通しとしては、シンプルに女性に認められる人を目指すに尽きる。具体的にはスキルアップ、よりスマートな振る舞いを覚える、何より収入を増やす努力をすることである。とはいえ転職活動が本当に嫌すぎるので、せめて他業界の情報収集をして世界情勢との結びつきを調べたり、どの仕事にも共通する社会人の基礎が自分は身についているのかを再点検したり、といった点から取り組みたい。

主観的解釈に振り回されない

Before: 自分に都合の悪い可能性に思考が絡め取られる。前向きな行動を起こせない。
After: 不安を感じても複数の仮説を立てて確定するまで保留。不確定ななか最善の選択を。

異性関係となると特にだが、自分の願望・期待が大きすぎると現実の認識が歪んでしまう。気になる方の言動ひとつひとつを深読みして一喜一憂したり、振り回される。ここもコンサルを頼りながら、「現状さまざまな仮説が考えられるが、今私ができる行動を地道にやろう」と心がけた。

異性関係でこの悩みを持つようになったのは最近だ。ずっと昔は、そもそも色恋沙汰に興味がなく、あるいは諦めきっていたので悩まなかった。その後、多少は興味を持つようになっても、観察が甘く相手の変化に鋭く気づけなかった。相手の情報をインプットしていないから解釈に振り回されることも少なかった。現在はある女性の挙動が気になりすぎて、過度に観察をして変化を追いかけようとしすぎてしまい、加減をコントロールできていない。インプットした情報から妄想を広げすぎてしまっている。相手をよく知ろうと心がけるようになったのは前進だが、さらに冷静に対応する必要が出てきた。

精神的に追い詰められるときも似たパターンに陥っていた。他に取り得た選択肢があったのに、他人の行動の意味を決めつけては将来の可能性を自ら狭めていった失敗もあった。一度視野が狭まると元に戻すのは難しいが、いまはChatGPTに壁打ちして自分の認識を検証することもできているし、改善を進めている。

ジェンダー観の更新

Before: 男女は平等・同質であり、トランスも不可能ではない。
After: 男女は異質な存在であって、得手不得手が異なり、身体的な差異も無視できない。

現実に即したジェンダー観を持つようになった。つまり、女性は男性とは内分泌系をはじめ異なった身体的メカニズムを持っており、全体的な傾向としていうなら得手不得手も違うという考え方を持つようになった。コンサルの講義もこの前提に基づいていた。私はこれまで、異性装経験もあるし、文化的・社会的な性差に対しても懐疑的で古い価値観だと思っていた。相手の性別に関係なく、ひとりの人間として同じように接することが正義だと思っていた。しかしその価値観が変わった。

身体的特徴、社会的な立場が男女で違うのだから、特に恋愛の土俵で男性としてみてもらうには、そのためのコミュニケーションが必要となる。私はそういった男女を区別する発想にもともと嫌悪感があったが、身体的な性差などを学ぶにつれて考えを改めるようになった。講義では「女性特有の欲求」にも触れられた。その中身は、私が十数年もの異性装経験を踏まえても抱いたことのない欲求だった。私は女性を全然理解できていなかったようである。

社会の風潮はジェンダー平等に向かっているので、時代の流れには反するかもしれない。でも一つの現実として受け入れて今後の男女関係の構築に活かしたいと考える。

偏りを無くす努力をする

Before: 得意な分野で一点突破すればいい。極端な価値観・行動指針もある意味で個性。
After: 苦手でも挑戦はしたり、克服する努力も大事。中庸思想を鍛える。

幅広いトピックに関心を持ち、生き抜く能力をバランス良く鍛えたいと考えるようになった。私はこれまで得意分野・得意なやり方で一点突破したがる癖があり、見直すきっかけとなった。話題でいえば時事系、芸能系にも関心を持って自分の意見や好みを明確にして語れるようにするとか、スキル面でいえば収入を上げる努力をする、ファッションのセンスを磨く、人との交流・折衝ができるようになるなどである。専門に特化しないで、はじめは下手でも不慣れでもいいから努力を怠らない姿勢が大事だといえる。また極端な思想・価値観に走らないのも女性と上手に関係を結ぶうえで重要だという。

中庸な考え方を鍛えるのにもChatGPTが役立っている。コンサルのサポートが終わりを迎える9月から課金勢となり、ちょっとした悩みをすぐにChatGPTにぶつけるようになった。生成AIは、私の悩みに対して、私の発言内容と相関が強いと思われる単語を出してくれるので、ぴったりとした表現を探すのに便利だし、倫理観を逸脱しないでバランスの取れた見解をシェアしてくれる。個人的な感覚だと、コンサルタントやカウンセラーに相談しているみたいである。前向きに、バランスのよい考え方を取り入れたいときにChatGPTは良い相棒となってくれる。

社会問題、食事、お金、旅など現実的な関心ごとを増やす

Before: 世間の流行から離れて、自分の興味関心を突き詰める。学問的なアプローチも。
After: グルメ、芸能系、流行などメジャーなトピックにも関心を。具体的に語れるネタを探す。

オタク趣味・学問的な興味から、社会問題、食べもの、子育て、旅行・地理、経済・経営など、より現実的な話題に関心を持つようになった。上手く生きるには現実感覚も欠かせない。妄想の世界に生きるのは自由だが現実とぶつかっていずれは崩れてしまう。地に足の付いた生活を目指すようになった。将来、結婚したり子育てをすることになれば、日々の現実と向き合わなければならない。毎日の小さなトラブルを現実的に対処しなければならない。そのために必要な知識や感覚を今から育てておきたい。

今年取り組んだこと①:10月に都営バスののりつぶしをした。関東エリアに長く住んでいるが、東京23区内で未踏のエリアはまだまだあった。面白スポットを発見できれば、雑談のネタにもできるし今後友達を誘ったりデートプランのネタにもなる。1日6時間前後で10日以上の日数をかけてバスに乗ってきた。移動するほど、新しい景色を眺めるほど気力が湧いてくる実感があった。

今年取り組んだこと②:食品衛生管理者の資格を取得した。夏にお米を炊いて丸1日蒸し暑いキッチンに放置した経験から、自炊で食中毒を起こさないための知識をつけたくて受講を決めた。料理が苦手なので自炊もほとんどしないのだが、知っておいて損はないだろうということで。料理ができるに越したことはないので、今後は栄養学を学んでみたり、少しは自炊にもチャレンジできればと考えている。

職場でも主役の座を譲る

Before: 私が最大限のパフォーマンスを発揮して良い成績を取ることに意味がある。
After: 自分だけでなくチーム全体で快適に仕事ができて成果が出るように振る舞いを見直す。

私自身の活躍や賞賛を一旦手放して、「他人を支える役回り」に徹せられるか。結婚生活や子育てが上手くいくかは、この視点を持てるかどうかにかかっていると私は考えている。コンサルの指導を受けるようになってから、どうしたら周りの人を引き立てられるのかに意識を向けた。職場でも、これまで自分がトップの生産性を出しさえすれば良いと考えそのように振る舞っていたが、周囲の様子をみながらチーム全体として気持ちよく成果を出せるよう自分の行動を見直した。具体的には、大きな音を立てて仕事をしないとか、周りのペースに合わせた動きをする(早歩きをしすぎない)とか、業務上のやりとりでも言い方を考えるなどである。細かい所作から改善できるところがあった。

自分の価値を自分で認められていないとこの振る舞いは難しい。無価値感があるとどうしても私を周りに認めて欲しいと思ってしまい、そういった行動を隠せなくなるからだ。この点はコンサルの支持的なサポートにも助けられた。

メタ認知の向上

Before: 私視点で満足できる容姿・振る舞いでOK。
After: 他人視点で似合っている、魅力に感じる容姿や振る舞いを目指す。

自分の容姿や振るまいが他者からどう映るかを意識するようになった。私は春先まで一見女性にみえる髪型をしていたのだが、入塾をきっかけにばっさり男性らしい自分に似合う髪型に変えた。「女性に見える髪型」をしているからといって性自認が女性だとも、性指向が男性だとも断定できないのが正しい認識だが、現実問題として周囲の人間が好き勝手な解釈をしてくるのは避けられない。周囲からどう思われようと好きな容姿でいるのも一つの選択であるが、女性のパートナーに出会いたいのであれば誤解をさせない容姿にすべきだと思い、この際イメージチェンジをした。

他にも公の場で気をつけるようになった点といえば、毎日の髪型や服装などの身だしなみ、食事の作法、姿勢、話すスピード、目線、匂いケアなどごく基本的な部分である。言い訳になるが、今の職場に来てからこういった基本的なマナーにも無頓着な人たちが少なくなく、私自身も楽な方に流れてしまっていた。人並みの身長や体格を持つ男性であれば、ただその場にいるだけで女性に恐怖感を与える可能性もある。まして無表情あるいは不機嫌そうな表情で粗雑な言動を取ってしまえばなおさらである。良い年齢なので、このような点でマイナス印象を持たれない努力は最低限しなければと気をつけるようになった。

ただしネガティブ面もある。他者視点を意識しすぎて、「普通」でなければならないと自分を追い立てすぎているかもしれない。以前ほど「自分らしくで良い」とは開き直れなくなった。この点は今後の調整ポイント。

コピーバンド活動

昨年末にお誘い頂き、今年12月中旬に本番を迎え無事成功に終わった。

メンバー全員が自分の役割をそつなくこなせるチームだと打ち合わせ・顔合わせも最小限で済むし、そのうえ安定した成果を出せたのが印象的だった。音楽経験のバックボーンがひとりずつ違っていて私の知らない世界を知っていて、私のできないことができる人たちで、素直に敬意を持って関われた。私ひとりでは成し得ず、また私がいなくては成立しなかった演奏を今回のコピバン活動で実現できたのが何よりうれしい。

昨年夏に参加したバンドセッションで、私ははじめて自主的に「自分の興味関心より、他人の要望に応える」方向で活動してみた。今回のコピバン活動に誘われたのもここのつながりからである。他人の求めに応えていると、より他人に求められるようになるのを体験できた。

今回のコピバン活動が楽しかったかというと、実はそうでもない(もともと楽しさを欲して参加したわけではないのでそれで良い)。どちらかというと苦しかった。自分が好きな曲ばかりでなく、不慣れなジャンルにも取り組まなければならなかったし、技術的な挑戦もあった。でも演奏表現の幅を広げる経験になった。私としては、本番客席にいる方々に楽しんでもらいたいし、後で本番映像を見返して客の立場として自分も楽しみたい。そのための取り組みはできたと思う。

「ただその場に居るだけ」なのが許されるユルいコミュニティも悪くないけれど、各自の役割があって皆がそれを果たすことで一つの成果を出せるのはかけがえのない経験だった。

カウンセリング勉強会

2023年9月~2024年3月、心理学コミュニティで知り合った人たちと3人でカウンセリングの勉強会を開いた。カウンセリングの基礎を体系的に学べる書籍があったので、その構成にしたがって月数回集まって、一緒に演習を進めていった。

私は書籍の設問をスライドにまとめ直し、当日の進行を円滑に進める準備をした。また、3人が集まった際の進行役も務めた。2022年に相談コミュニティを開いたが頓挫したときのメンバーと再会し、あらためて自分が取り組みたい形で心理学を学ぶ経験ができた。

クライエントの人となりを理解するためのアプローチを技術として学べた。これまで私は、他人に質問するとなるとWikipedia記事を書くための取材かのような情報収集に走ってしまい、相手の人生観、価値観や世界観に触れる質問ができていなかったし、日頃からそういった視点で人と交流することができていなかった。勉強会で得た知識は、日々のコミュニケーションにも応用できそうであった。

カウンセリングは1回のセッションを50分で行うのが一般的だといわれる。私も勉強会の終盤は、50分枠でカウンセラー役に挑戦し、手探りながらもやり切った。カウンセラーは、クライエントのこれまでの発言を頭に入れて整理できなければならないし、同時に見立てや方針を出さないといけないし、発言にも細心の注意を払わなければならない(クライエントは多くの場合、大きな傷付きを経験してカウンセリングの場に来ているだろうから)。「話を聞く」のは話すこと以上にずっとしんどく、疲れることだった。

放送大学履修科目

前期①:精神疾患とその治療

2年前に心理学検定の学習のため心理学をひととおり学んだのだが、あらためて精神医学の基礎を学びたくて受講した。過去に発達障害や精神疾患の方と関わった経験もあり、適切に関わるにはどうしたらよいのかを知りたかった。

私のスタンスとして、発達障害を個性の一つとして向き合おうとした時期もあった。しかし、もう少し他者視点を持ってはもらえないだろうか、その衝動を抑えてもらえないだろうかと感じる場面があり、私の心理的な限界や対応の困難を感じる経験もしてきた。個性で済むなら現実に大きなトラブルにならないし困らない。障害という観点から適切なフォローや調整をする方策も合わせて必要ではないかと考えるようになった。ひとりでは対応が難しい場面もあるので、自分自身を犠牲にせず、適度な距離感で関われるようにしたい。この科目ではそのために必要な基本的な知識を学ぶことができた。

心理学だけだと概念や体系がもやっとしていて納得できない部分もあったが、精神医学は医学の一ジャンルでもあり、診断基準も用意されていて比較的学習しやすかった。素人の私にできるのは、当事者がどういった事情を抱え、どのような症状があるかを理解して話を聞くくらいであり、具体的な支援や治療には専門性が欠かせない。ここで学んだ知識は、今後対応の難しいケースに出会ったときに適切に専門家を頼る足がかりに活用していきたいと考えている。

前期②:西洋音楽史

いまとなってはなぜ音楽史を学びたがったのか覚えていない。長年音楽に触れてきたし教養として知っておこうか、話の種になるし、というノリだったかもしれない。現代の我々がクラシックに触れるというと17世紀バロック音楽以降が中心になるので、それ以前のルネサンス期、中世、さらに遡って古代ギリシャ時代の音楽の起源を学べたのがよかった。

前期③:日本語リテラシー演習

3年くらい前に履修した「日本語リテラシー」と同じ講師による演習科目。レポートをたくさん書いた。カウンセリング勉強会でも感じたが、本を一読するのとそのスキルを訓練する場があるのとでは定着度がまるで違う。ここの記事を書くときにも多少は意識しているつもりである。

後期:人体の構造と機能

人間のメンタル面に関心を持ち5年くらい探求してきたが、メンタルの土台にはフィジカルがある事実を受け入れるようになった。そこで看護師志望者向けカリキュラムのひとつでもある解剖・生理学の基礎にあたるこの科目を履修した。

心理学とも関連のある分野でいえば内分泌系や神経系だが、その他の身体の仕組みも幅広くて興味深い。歳を重ねると無病で健康でいられることが当たり前ではなくなる。慢性疾患を抱える人も増えるし、大病からの後遺症を抱えて生きる人も少なくない。身体的な事情はメンタルにも影響を及ぼす。メンタルの健康を目指すなら身体のこともよく知っておかねばならないと思うし、トラブルの少ないうちに生活習慣を改善できるならしておくに越したことはない。

この科目全体を学んで思ったのは、人間の身体は大きな負荷を受けても、あるレベルまではカバーしてくれる。しかし、そのレベルを超えてどこか一カ所壊れてしまうと、そこから連鎖して次から次へとトラブルが発生するということだ。例えば腎臓を悪くすると、腎臓から出るエリスロポエチンというホルモンの出が悪くなり、赤血球が作られにくくなり貧血に繋がるし、さらに血液中の余分な塩分・水分を排出できなくなって体液量のコントロールが効かなくなり高血圧へ、そこからまた別のトラブルに発展、といったドミノ倒しが始まる。投薬治療ができる病気であっても薬には副作用がつきもので、全体のバランスを取るにはまた別の薬を飲んだり行動制限がかかることもありうる。こう考えると身体のメンテナンスで事前対応を怠ると将来大きなツケを払わされることになるといえる。

次の学期では疾病の仕組みを学ぶ科目をとる予定である。自分や身近な人の健康を維持するための基本的な知識は身につけておきたい。

総括と来年に向けて

チームワーク、自分の価値観や欲求の自覚、興味を広げる、現実感覚を養う……といったテーマと向きあう1年だった。結婚や子育ての具体的見通しはまだ無いけれど、プラスに繋がる行動は起こせたと思う。

来年のビジョンは固まっていない。もともとビジョンに向かって走れるタイプでもないので珍しい話ではない。今年は自分の価値や存在を周りの人たちに受け入れられる経験をして精神的に元気になってきたので、来年も何かしらの形でチームに参加したり、また新しい分野の学習をしていきたい。

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